スーパーで干し柿を見るたびに
嫁いだ先の九州の祖母を思い出す
当時は梅蔵さんの祖母、父母、弟2人の6人家族
最初は県営住宅に入り
二世帯住宅が完成し7人家族となった
祖母は子供ができず
親戚筋である姑を3歳の時養女にし
婿養子に舅を迎えたそうだ
私を一番可愛がってくれたのも この祖母だった
ある日仕事から帰ると祖母は
外できれいな柿をたくさん剥いていた
「美味しそうな柿ね」
「食べてもよかよ」
私は1つ手に取り かじった
「……… ‼︎」
渋柿があんなにキレイで美味しそうだとは知らなかったのだ
祖母は入れ歯が外れ落ちるほど大笑いしていた
明るい茶目っ気たっぷりの人だった
外に干してある私達の洗濯物もよく畳んでおいてくれた
私より先に帰宅する梅蔵さんに
「○○ちゃんのパンツを買うてあげんしゃい
あがんボロボロんば履いて」
いやいやレースの紐ショーツです^^;
新婚さんでしたので(^^;;
子供に恵まれなかった私に
寄り添い励ましてくれたのも 祖母だった
祖母が亡くなって25年経つ
今も渋柿をシレッと食べさせた
祖母の顔と干し柿が重なる
シワシワって事じゃないよ(´∀`)エヘヘ
嫁いだ先の九州の祖母を思い出す
当時は梅蔵さんの祖母、父母、弟2人の6人家族
最初は県営住宅に入り
二世帯住宅が完成し7人家族となった
祖母は子供ができず
親戚筋である姑を3歳の時養女にし
婿養子に舅を迎えたそうだ
私を一番可愛がってくれたのも この祖母だった
ある日仕事から帰ると祖母は
外できれいな柿をたくさん剥いていた
「美味しそうな柿ね」
「食べてもよかよ」
私は1つ手に取り かじった
「……… ‼︎」
渋柿があんなにキレイで美味しそうだとは知らなかったのだ
祖母は入れ歯が外れ落ちるほど大笑いしていた
明るい茶目っ気たっぷりの人だった
外に干してある私達の洗濯物もよく畳んでおいてくれた
私より先に帰宅する梅蔵さんに
「○○ちゃんのパンツを買うてあげんしゃい
あがんボロボロんば履いて」
いやいやレースの紐ショーツです^^;
新婚さんでしたので(^^;;
子供に恵まれなかった私に
寄り添い励ましてくれたのも 祖母だった
祖母が亡くなって25年経つ
今も渋柿をシレッと食べさせた
祖母の顔と干し柿が重なる
シワシワって事じゃないよ(´∀`)エヘヘ
私の父は62歳でこの世を去った
私は結婚して九州に嫁いでいたけど
当時兄と姉はまだ未婚だったので
実家で同居していた
亡くなる半年前に
2世帯住宅の新築祝いに来てくれるはずが
病気が発覚してそのまま入院となってしまった
上の2人とは歳が離れていた末っ子だったせいか
私はとても父に可愛がられていた
事情を会社と梅蔵さんの家族に話し
一ヶ月間実家に帰省し
交代で病院に泊まり込みの介護に加わった
家族が入院すると人間の本性が見える
もちろん手伝いたくても手伝えない遠方にいる家族や
本人が手伝える状態でない場合もあると思う
でも 家族が協力して一つの事を目標にしている時に
自分の主張を押し
駆け引きをするが如くわがままを通す人もいる
私の姉がそのタイプだった
当時付き合っていた7歳下の大学生彼氏との交際を
反対された事が原因だ
私が帰省するまで
実家の自分の部屋にコッソリその彼氏を泊めていたらしい
その事に気がついた兄が彼氏に直接
「父が不在の時に無断で家に泊まるのは控えてもらいたい」
と直談判した事が理由らしい
母は日中病院に詰め
兄は仕事が終わって母と交代して
病院に泊まる生活をしていた
その中で兄に言われた事や
父の不機嫌な態度に反発し
姉は見舞いにも来ない日が続いたらしい
私が帰省し介護に加わると
尚更面白くなかったのだろう
八つ当たりの矛先が私にも向いていた
父は入院中日記を書いていた
去年家の解体で掃除をしていた時見つけた
大学ノート3冊分あった
同室の患者さんやお気に入りのナースの事
検査や日々の治療方法や
見舞い来てくれた人への感謝の気持ち
家族への心配事
姉への言葉がたくさん書いてあった
それらは今は私が保管している
父の死後3ヶ月後
姉は当時大学生だった彼氏の卒業と同時に
入籍して遠方に移った
母の介護の時にも非協力的だった姉は
母の一周忌も連絡したが返事が無かった
今では交流は途絶えている
兄と話してお互いのそれぞれの家庭に
一番良い事だと結論がでた為だ
姉は今も幸せに暮らしていると思う
ホッとする
これ以上関わるのはごめんだ
この日記サイトで似たような人が
たくさんいる事を知った
みんな一生懸命生きている
辛い事悲しい事が無い人はいない
私も自分の気持ちを整理しながら
頑張っていこう٩( ’ω’ )و
私は結婚して九州に嫁いでいたけど
当時兄と姉はまだ未婚だったので
実家で同居していた
亡くなる半年前に
2世帯住宅の新築祝いに来てくれるはずが
病気が発覚してそのまま入院となってしまった
上の2人とは歳が離れていた末っ子だったせいか
私はとても父に可愛がられていた
事情を会社と梅蔵さんの家族に話し
一ヶ月間実家に帰省し
交代で病院に泊まり込みの介護に加わった
家族が入院すると人間の本性が見える
もちろん手伝いたくても手伝えない遠方にいる家族や
本人が手伝える状態でない場合もあると思う
でも 家族が協力して一つの事を目標にしている時に
自分の主張を押し
駆け引きをするが如くわがままを通す人もいる
私の姉がそのタイプだった
当時付き合っていた7歳下の大学生彼氏との交際を
反対された事が原因だ
私が帰省するまで
実家の自分の部屋にコッソリその彼氏を泊めていたらしい
その事に気がついた兄が彼氏に直接
「父が不在の時に無断で家に泊まるのは控えてもらいたい」
と直談判した事が理由らしい
母は日中病院に詰め
兄は仕事が終わって母と交代して
病院に泊まる生活をしていた
その中で兄に言われた事や
父の不機嫌な態度に反発し
姉は見舞いにも来ない日が続いたらしい
私が帰省し介護に加わると
尚更面白くなかったのだろう
八つ当たりの矛先が私にも向いていた
父は入院中日記を書いていた
去年家の解体で掃除をしていた時見つけた
大学ノート3冊分あった
同室の患者さんやお気に入りのナースの事
検査や日々の治療方法や
見舞い来てくれた人への感謝の気持ち
家族への心配事
姉への言葉がたくさん書いてあった
それらは今は私が保管している
父の死後3ヶ月後
姉は当時大学生だった彼氏の卒業と同時に
入籍して遠方に移った
母の介護の時にも非協力的だった姉は
母の一周忌も連絡したが返事が無かった
今では交流は途絶えている
兄と話してお互いのそれぞれの家庭に
一番良い事だと結論がでた為だ
姉は今も幸せに暮らしていると思う
ホッとする
これ以上関わるのはごめんだ
この日記サイトで似たような人が
たくさんいる事を知った
みんな一生懸命生きている
辛い事悲しい事が無い人はいない
私も自分の気持ちを整理しながら
頑張っていこう٩( ’ω’ )و